FROM ボブ・バーグ
私とジョン・デイビッド・マンとの共著『The Go-giver Influencer』では影響力を発揮するための原則その5として「正しさへの執着を捨てること」の 大事さに触れている。とはいえ、正しくありたいこと自体が間違っているわけではない。私が言いたいことは「常に正しくなければならない先入観を手放そう」ということになる。
こうした考えを持てば、自分が絶対に正しいとは言い切れなくなるだろう。しかも、これは相手の意見に賛成することでも同意している訳でない。しかし、この姿勢を持つことで、相手の考えに耳を傾けることができ、自分の正しさを保留できるようになる。
とはいえ、昔の私にとって、これは難しいことだった。年をとって良くなってきた部分もあるが、それでも簡単なことではなかった。 というのも、私自身が常に自分の正しさを人に認めさせないと気が済まないタイプの人間だったからだ。その結果、不要な争いもしてしまい、双方にとっても生産的でないことも多くあった。
正しさへの執着を捨てるとどうなるのか?
そのうえで、ダニエル・ゴールマンはかつて著書 『EQ~こころの知能指数』の中でこう言っている。「感情的な心は、絶対的正しさを信条とし、その正しさに反する情報は軽視する。 よって、感情的になっている人に正しさで伝えようとしても、 相手には響かないものだ。感情的な納得がなければ、 相手を説得することはできない。」
この主張から見出されるのが、私たちの認知の働きである「認知的不協和」と「確証バイアス」だ。「認知的不協和」とは、自分の価値観や考え方と相反するような情報に触れたときに、それに対して自分がうまく対処できないことを指す。
言葉としての解釈は「認知」とは思考や信念のことで 「不協和」とは一致していないことになる。こうした場合、本当はそれが間違っていると奥底では分かっていたとしても、自分の価値観や考えが 正しかったのだと思い込もうとする。
それからもう1つの「確証バイアス」は自分の信条や考え方に一致する情報は 受け入れるものの、一致しないものは無視する傾向にある というものです。これら2つの認知の働きは私たちの正しさを歪めてしまう原因の1つになる。
私が認知的不協和に陥った話
ここで私の個人的な話をしよう。私は動物愛好家である。これは多くの人はご存知かもしれない。かといって、私の食事が動物的なものを食べないビーガンやベジタリアンではない。なぜなら、このことについてあまり深く考えたことがなかったからだ。
ただ、どのようにして食肉として加工されるのか。その現実について知ってからは、自分が好きだと公言している動物を食べていることを意識するようになった。とはいえ、これはあくまで個人的な話であって動物を食べることが一概に良い悪いと言っている話ではない。
まさにこれは私の中に「認知的不協和」が 生まれたという話だ。動物愛護を掲げる一方で動物を食べるのは、間違っているんじゃないか思い始めた。そして、その矛盾を私はどうにかして 解消する必要があった。
私は多くの生き物を食べ、また着る物だって動物を材料に作られたものだ。そういうことを考えると、 ビーガンとは言わないまでもベジタリアンとしての食生活には 近づくべきなんだろうか、と思う。実際、肉や魚を食べるときに 私は罪悪感のようなものを感じる。
正しさは歪みやすいからこそ…
繰り返しになるが、私は今動物愛護のために肉食をやめなさいとかそういうことを主張しているのではない。 あくまで私の個人的経験の話をしている。 そういう矛盾した状況に陥ると、 すわりが悪くなってしまうものだ。
このような状況では、一方の考え方を無視すると楽になれる。けれども、私にはそうすることができなかった。 いまだに答えが出せないまま、 いつか私はビーガンになるのかもしれないし、様々なことを考慮したうえで自分なりに納得できるような形でこの不協和を解消できる日が 来るのかもしれない。
さて、あなたはこうした認知的不協和、確証バイアスにどう対処しているだろうか?そして、私たちの正しさは歪みやすいからこそ、その執着を手放すことが本当の正しさに近づくために大切にもなる。
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