FROM ボブ・バーグ
人間にとっての一番の問題は正しさを考えるときに「エゴ」が影響することだ。例えば、何かを強制・実行できる立場の人が過度に「エゴ」を発揮してしまえば、 それは大きな問題として現れるだろう。
過度に「エゴ」を発揮してしまうと、どうなる?
たとえば、元ニューヨーク市長だったマイケル・ブルームバーグを思い出してみて欲しい。とはいえ、この話には何ら政治的な意図はないことを断っておきたい。 さて、彼は市長時代に次のような政策を行った。それは炭酸飲料に税金を掛けるというものだ。
なぜそんなことをしたのか?それは彼が炭酸飲料が健康にとってよくない飲み物だと思っていたからだ。確かにそれはある意味では正しいかもしれないが、 それを政策として税金を課し、私たちの行動の自由を強制するのは本当に正しいことなのだろうか。
ちなみに、結果的に困ったのは税金が払えない貧しい人たちだった。これは「エゴ」が絡んだ顕著な例になる。 彼らも善意でそうしているのだが、その際に現れる「エゴ」は決してポジティブなものにはならない。
学問の世界で「エゴ」が歪んでしまうと?
一方で、別の例を挙げよう。それは経済学についてになる。
経済はその本質はシンプルだが、 それに携わる人々が複雑にしていたりするものだ。 20世紀を振り返ってみると、ジョン・メイナード・ケインズという 経済学者が「経済学者こそが経済を良く動かすことができる」 という考えを提唱し、それが主流となった。
学者は経済を深く知る者であるがゆえに全員にとってのいい経済を実現できるというわけだ。もちろん経済学者たちは この考え方を支持した。経済をよりよく知る自分たちこそが経済を運営すべきだ、というこの考え方はさぞ魅力的だっただろう。
しかしフリードリヒ・ハイエクのような経済学者たちはこうも言った。経済学者の「どうすべきかなんて一般人の考えとあまり変わらない」と。たしかに経済学者たちは、経済の原則を理解しているのかもしれない。
過度な「エゴ」を手放すことの重要性
とはいえ、彼によれば、経済学者とは、人間の想像力の限界と経済のデザインの限界を示すのが仕事の本分というわけだ。 ご存知のように経済についてはこれまで人類において数多くの試みがおこなわれてきた。 成功に見えたものも、失敗に見えたものもある。
その結果として明らかになったのは、全知であると思われた人が実は何も知らないことということだ。何年か前にある著名な経済学者が出演していたCMがあった。CMでは、ステージに立った経済学者に観客が質問をするという内容のものだった。
すると、ある人が「10年後の株価はどうなるか」とその経済学者を質問した。だれもが固唾を飲んで どんな答えが出るのが見守っていた。しかし、なんと彼は一言こう答えた。そう「わからない」と。
そう、だれにもそんなことはわからない。むしろ、それを「わかる」と公言するのは 過度な「エゴ」に由来するものだ。 そう賢い人間ほどわからないことは「わからない」と正直になれる。 それこそ過度な「エゴ」を手放す一言だからだ。
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