ゲロ吐いた男を殴っていいか?

From 安永周平

ある会社で、社長が講師になり全社員30人を集めて社内研修を行った。社員の意識を高めるために事例研究、ディスカッションを行う研修だ。まずこんな文章を読ませた。

夜11時過ぎの電車の中、座席の真ん中で学生らしい若者が吐いた。ゲロが池のように広がる…隣の人は逃げた。一人の男が近寄り新聞紙を広げてかけた。若者は背中を丸めてうなだれている。酒の臭いがする。別の男が若者の頭を小突いた。その男はゲロを指差して何か言いながらもう1度殴った。別の男が「やめろ」と止めた。殴った男は遠くへ去って行った。

ここに5種類の人間がいる

①「汚い」とその場から逃げた人
②新聞紙をかけてあげた人
③殴った人
④殴るのを止めた人
⑤何もしないで眺めていた人

それぞれが自分の考え方、価値観に従って行動しているはずだ。さて、ちょっと考えてみてほしいのだが…あなたはどの部類に入るだろうか? 自分が模範的な行動をとれるかどうかはさておき、次の3つの質問について考えてみてほしい。

あなたは? そして社会人のあるべき姿は?

問1:自分はどのタイプか?
問2:社会人としてあるべきタイプはどれか?
問3:社会人として最もよくないタイプはどれか?

(実際に少し時間をとって考えてみてほしい)

さて、先の研修で社員の方々がどう答えたのかを先にお伝えしよう。問1の自分はどのタイプか?については「何もしないで眺めていた人」か「”汚い”とその場から逃げた人」のどちらかだった。問2の社会人としてあるべきタイプはどれか?については、全員「新聞紙をかけてあげた人」もしくは「殴るのを止めた人」と答えた。最後に問3の社会人として最もよくないタイプはどれか?は全員が「殴った人」と答えた。

答えはほぼ予想どおりだった。そして、ここからディスカッションだ。なぜ「殴った人」が悪くて「新聞紙をかけた人」がいいのか。色んな意見が出た。「汚いから逃げるのは当然。臭くて汚いのに我慢して座っていられない」「新聞紙をかけてやるのは本人のためでもあるが、周りの人のためにもなる。思いやりだ」「殴るのは暴力だからダメ。教育なら口で言って教えればいいんじゃないか」「若者はたまたま体調が悪く仕方のない理由があったのかもしれない。それも聞かずにいきなり殴るのはよくない」など。

社長が語った意外な解答と解説

ひととおり発言が終ると、社長がこの事例の解答を解説し始めた。それは意外なものだった。

「社会人としての意識の高さという観点で順序をつけるとどうなるか。私の見方では、1番ダメなのは新聞をかけた人で、1番意識が高いのは殴った人だ。若者は公共の場で人に迷惑を掛けることをした。若者をいたわり新聞紙をかけてあげるのは、その行為を肯定し若者を甘やかすだけ。若者の行為は否定されなければならない。

その意味で、自己管理せずに飲み過ぎて人に迷惑をかけた若者を殴った人は、行動は過激だが正しい。若者は悪いことをしたと思い、以後酒を飲む時は用心深くなる。殴った人は若者を教育した。それ以外の人たちは、誰もこの若者にその行動のマズさを指摘していない。」

案の定、不満を言い出した社員だが…

この説明にうなずく社員はほとんどいなかった。「社長は殴るのが正しいと言うんですか?」「殴った人が立派だなんて思えません」と食って掛かる。解答に納得していないのだ。そこで社長はこう続けた。

「この若者は車内を汚し、人に迷惑をかけた。この問題について、議論の焦点は2つだ。1つは若者はどのように責任を取り、社会から制裁を受けなければならないか?もう1つは、関係した大人はこの若者の行為をどう考え、どのような行動をとるべきなのか?だ。若者にお灸を据えるのが大人の社会人の取るべき行動であり、酔っ払って思考力がないのなら体に痛みを与えるしかない。この場合は「殴る」が正当な教育行為になる。

ところがみんなは、初めから”殴る”ことの自体の是非の問題として考え「殴るのはよくない」という結論に持っていこうとする。みんなだけでなく、今の日本人は新聞紙をかけた”やさしい”男を肯定し、殴る男を否定する。つまり、人の未来を変えることのないやさしさをヨシとし、厳しく指導する教育を嫌う。こうした考え方が世論になっている。

勇気がなくて行動できなくてもいい。ただし、考え方を間違えてはいけない。誰の行動を肯定し、誰を行動を否定するか。誰を評価し、誰を非難するか。この事例では「殴った人を立派だと評価し、新聞紙をかけた人をダメな人だと判断する」のが正しい。そして、仕事でも同じような場面が出てくる。その場合は大抵、やさしい(甘い)方が間違いで、厳しい(辛い)方が正しいと思った方がよい」

これで研修会は終わった。社長は「社員の顔を見ていると何かスッキリしないので、研修の成果が上がっていないのがわかります。でも、こうした問題提起をしないと社員は暴力だけでなく”厳しく叱る”ことまで間違っていると信じ込むようになります。だから、こうした意識を高める研修は何回もしていかなくてはと思っています」と語った。

「暴力=悪」は絶対に正しいのか?

さて、今日の話を聞いてあなたはどう思っただろうか? おそらくTwitterなどSNSでこんな逸話をシェアすれば、この社長は「ブラックだ」「パワハラだ!」「暴力を肯定するなんて許せない!」と糾弾され、場合によっては炎上してしまうかもしれない。社長の追加説明など読まずに「暴力=悪」と声高に叫びながら問答無用で批判する人が押し寄せるだろう。

ただ、この話を聞いた時、個人的には昨今のSNSで飛び交う「白黒つけるだけ」の二元論のような危うさを感じずにはいられなかった。暴力は確かによくない。それはそうだ。でも、たとえば自分の子供が悪事に走りそうになって聞く耳を持たない時、殴ってでも止めるのは親の役割だろう。愛しているからこそ頬を叩く。その行動が悪か?というと、それは違うはず。「暴力=悪」という分かりやすい構図だけを見て考えるのを止めていいのだろうか?

正直なところ、私も先の現場に居合わせたら「⑤何もしないで眺めていた人」と同じ行動を取っていたと思う。立場上、わざわざトラブルに巻き込まれるような行動はしないだろう。それが正しい行動だとは思わない。でも、この話を聞いて「考え方」については慎重でありたいと思った。「暴力=悪」と言うだけなら簡単だ。言葉の力は侮れないが、一方でキレイごとだけじゃ済まされない現実もある。それを踏まえて、次週のメルマガでもう少し思うところを書いてみようと思うので、よければまた来週のメルマガをチェックしてほしい。

追伸:
この事例のネタ元は染谷和巳さんの著書『社長は鬼の目で人を見抜きなさい』に書いてあったものだ。よく「疑うより信じよう」という意見を見かけるが、これは立場によると思っている。自分が騙されることで周りの大切な人(家族や社員)に迷惑がかかるのであれば、それは避けなければならない。人を見る目を養うことは一朝一夕ではできない。社長にとって重要な能力だと思うし、これは全ての社長が一読の必要がある一冊だと思う↓

この記事の執筆者

寿コミュニケーションズ株式会社代表取締役/寿防災工業株式会社取締役。読者1万人超の当メルマガ『THE GO-GIVER』発行人であり、福岡で40年続く社員52名の防災設備会社 二代目。1982年生まれ。福岡県出身。筑紫丘高校→九州大学工学部卒(修士)

新卒でトヨタ自動車に入りマークXやクラウンのモデルチェンジ、バンパー塗装工場の新設を担当。4年目で退職し半年のニートを経て教育ベンチャーのダイレクト出版へ転職。1通のセールスコピーで累計2万人超の新規顧客を獲得したマーケティング経験は宝。マネージャーとなりメンバーから総スカン喰らった経験も宝。事業部が年商7億となった5年目、独立して寿コミュニケーションズを創業。

WEBメディア事業のお客様からの依頼でDMサポート事業を始めたら、紹介だけで受け切れないほど仕事依頼があり、現在は新規クライアント受付停止中。BtoB無形商材に特化したDM戦略&戦術が強い。本業は「人の命と建物を火災から守り地域の街づくりに貢献する」防災設備会社で事業承継を前提に組織改善と採用に奮闘中。