From 安永周平
先日、SNSのタイムラインにこんな投稿が流れてきた。
「さすがに気付いているだろうけど、個人で稼ぐ力が必須と言われる今、SNSマーケは欠かせない(中略)知識ゼロだった私でもイチから学んで収益化できました。今からでも遅くない、私がやり方教えます…」
この手の投稿、きっとあなたも見たことがあるのではないだろうか。Facebook広告で流れてきたり、あるいはTwitterではよくアイコンがイラストの匿名アカウントがこのような”ご高説”をされていらっしゃる。リプ欄は似たようなアカウントから共感の嵐だ。どこの誰だか存じ上げないが、プロフィールを見ればSNSマーケをしながら「稼ぐマインド」を発信しているそうだ。月6桁副業収入、コーチング実績150名超とのこと。
「個人で稼ぐ」という傲慢
正直、こういうのを見ると辟易してしまう。「個人で稼ぐ」ことを美化し、会社から給料をもらう生き方をディスっている(なんなら金取ってやり方教えようとしている)けど…経験を積んで成果が上がり、想像力が高まるほど「圧倒的多数の人に支えられて自分の仕事が成立している」ことに気付いて猛省し、そんな浅ましい言葉は使わなくなると思うのだ。
人間は1人で生きているわけではない。多くの人が働くことで社会インフラ(空気、水、電気、防災等)が安定的に維持されている。その恩恵を当然のように受け、そこに問題意識を持ったお客さんやユーザーがいることで初めて成立する仕事(それも生命活動と直接関係ない)をしておいて、さも”自分の力だけで稼いでます感”を出すのは傲慢が過ぎないだろうか。
冒頭の彼が、もし本当に150名もコーチング実績をしたのなら…もうちょっとクライアントに対する感謝の気持ちが芽生えてもいいのではないか? その気持ちがあれば”私は誰にも頼らず自分ひとりの力で稼いでいます感”を出したりしないと思うのだ。個人で稼ぐ行為自体は大いに結構だが、文脈から傲慢さや他人を見下す態度が垣間見えると「敬意のない人だな」と思ってしまう。
「世界は誰かの仕事でできている」
昔、ジョージアのCMでそんな名コピーがあった。これは本当にそのとおりだ。たとえば、私が個人でやっている事業の1つに「ダイレクトメールの制作&発送」がある。防災設備会社のアトツギの立場でもあるので、クライアントは現状の2社以上には増やせない。それがまかり通るくらいだから、極論を言えばこの事業は、明日からこの世に存在しなくなっても何とかなる仕事である。もちろん今後のクライアントの業績には影響するかもしれないが「人間の生命活動」の観点で言えば、あってもなくても大差のない仕事だ。
しかし、そんな仕事がこうして1つの「事業」として成立し、会社に利益をもたらしてくれているのは、クライアントやその先にいるユーザー、ひいては社会インフラを維持する仕事をしている方々が、それぞれの仕事によって社会を安定的に維持してくれているからだ。私が運営するダイレクトメール事業は、それら圧倒的多数の人が支える土俵の上で成り立っているに過ぎない。
多くの人の仕事で”生かされている”私たち
正直に言うと、私もセールスコピーや広告で実績を上げたことで「誰に頼らず自分のスキルで食っている」なんて傲慢な考えを抱きそうになっていたことがあった。ダイレクトメールに関する相談がたくさん舞い込んで、それが上手く事業化されて利益もしっかり出るようになったからだ。もしそんな考えのまま仕事を続けていたら、私は今頃、とてつもなく残念でさもしい”GIVERとは正反対の人間”になっていただろう。
私の周囲には、私が気付いていないだけでたくさんの「誰かの仕事」がある。だからこそ、自分のやっていることが仕事になり、報酬をいただくことで利益も残る。このメルマガを書いているこの瞬間も、誰かの仕事によって直接的・間接的に支えられている。世界は誰かの仕事でできており、それによって維持されている安定した社会という「土俵」のうえで私の仕事は成り立っている。
私に限らず、たとえば「コーチング」とか「ライティング」とか…スモールビジネスをしている個人はみんな、社会インフラとはおよそ関係のない仕事をしている。誤解をおそれずに言えば「人間の生命活動においてはなくても困らない仕事」で生活しているのだ。だとしたら、まずはこの社会が当たり前に維持してくれている圧倒的多数の人々の仕事に思いを馳せて感謝の気持ちを抱くことが大切ではないか。
そうした人たちの働きによって維持されている社会の基盤があるからこそ自分が”生かされている”ことに気付かないまま、「自分はスキルを身につけたことで、誰にも頼らず好きな時に好きな人と好きなことだけやって稼げるようになった」なんて勘違いしているような人が多く目についてしまう。こんな人が偉そうに暮らすために社会インフラを維持する人たちは頑張っているわけではないと思う。
教養を身につけ想像力を高めること
こうしたことに想像力をはたらかせることができる人間でありたいと強く思うのだ。そして、高名なサミュエル・ジョンソン博士曰く「感謝の心はたゆまぬ教養から得られる果実である。それを粗野な人々の中に発見することはできない」とのこと。私はこの言葉が好きで、心から感謝できる人は、それ相応の知識や経験があるように思う。
つまり、経験を積んで知識が身につくほどに「誰にも頼らず自分だけで稼いでます」なんて自負は消えていくと思うのだ。まだまだポンコツで未熟な自分ではあるけれど、それに近づくような生き方をしたいと思う今日この頃。今日は祝日だが、今週も頑張っていこう。
PS
社長は特に「稼ぎたい」と思うかもしれないが、方向性を間違えないようにしたい。屁理屈抜きのこの本は個人的に参考になっている↓