FROM ボブ・バーグ
突然だが、自分が何かしらの (概念、アイデア、哲学、商品・サービス、宗教、所属政党など) を信じているとしよう。となると、自分の方が正しく、同意しない人は間違っていると思うことは自然なことだ。
あらゆる場所で蔓延る口論の正体
もちろん、自然なことでもある。一方、これが健康的でも生産的でもないことは察しがつくだろう。だが、オンラインでもオフラインでも絶え間ない口論に溢れている。「私は正しい。あなたは間違っている」というものから「私は正しい。あなたは悪だ」といった憎悪に満ちたものもある。
善悪の議論はさておき、私たちはひとまず次のことを認識することが重要になる。それは「100%の物事ことはめったにない」ということだ。ところで、こんな古いことわざがある。それは意見の相違が生じるとき、3つの真実があるというものだ。
1.あなたの真実。 2. 相手の真実。 3. 中間のどこかにある真実。
とはいえ、”常に”3番目の部分が必要であるとは限らない。
場合によっては、あなたの真実が正しいこともあれば、相手の真実が正しいこともあるかもしれない。あるいは、双方が間違っている場合もあるだろう。はたまた、真実が双方の間にある場合もあれば、全く別のところにある場合ある。(通常の場合はその中間にあることが多いのだが。)
しかし、意見の相違が生じている場合は、そのどちらの当事者も100% 正しいとは言えないものだ。だからこそ、物事は白か黒にはっきりと別れるわけでなく、グレーの部分があることを理解すべきだ。そこで、重要になる概念は「ニュアンス」になる。
白か黒ではなくその中間(ニュアンス)を意識すること
オンライン辞書で「ニュアンス(nuance)」と調べると、次のような言葉が出てくる。微妙な違い・陰影・色合い。意味、感覚、価値などに対する感性、認識、または表現能力。このように100か0ではなく、より連続的なものを扱う概念だと言える。
そう、私たちが人々を上手に接するためにはこの「ニュアンス」を意識したり、見出すこと。これが重要になる。そう、「自分は100%正しくなければならない」という思い込みを手放すことで、より健全で前向きなコミュニケーションになる。
どちらが「正しい」かではなく、ともに「真実を探す」という選択肢
もちろん、これは「あなたは間違うべきだ」という話ではない。一旦、自分の中の「正しさ」や「正しくあらねば」という思い込みを手放すこと。そう、どちらが「正しい」かではなく、真実を探すという姿勢を目指すことだ。
この「一緒に真実を探そう」とする姿勢は、相手の警戒心や敵意を弱める。ひいては、生産的で建設的な関わりになる可能性を高める。だからこそ、私はこの「ニュアンス」を意識することをお勧めする。
自分が100%正しく、相手が100%間違っている…そのような姿勢ではなく、微妙な陰影(ニュアンス)にこそ、本質があるのかもしれない…と可能性を意識し、発見する姿勢。どうだろうか?後者の方が、対立よりもむしろワクワクしないだろうか?
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